箱入り猫とOh坊さん

アクセスカウンタ

zoom RSS CHT

<<   作成日時 : 2008/03/05 09:21   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 1

↓すみません、書きかけをアップしていました。こちらを読んでくださいませ。

 18日の早朝にバンコクに着き、10時過ぎの飛行機でダッカに向かいました。
もとい、向かうはずがバンコク空港の滑走路が一つしか使えなくて2時間遅れての出発。ただでさえギリギリのスケジュールなのが、さらにパッツンパッツンのスケジュールに。

 空港に出迎えてくれるトムさんに連絡を取ろうにも、手元にある番号がどうも間違っているようで通じない。仕方なく、泊まっているはずのホテルに電話をすると既にチェックアウトした後。このホテルは、日本人が経営者なので日本語で簡単にお話できたのがなによりの救い。というのも、私が何者かを説明して、トムさんの携帯番号を教えてもらえたのでした。ちなみに手元にあった番号は下二桁が入れ替わっていたという・・誰のミスだ???

 今回のツアーの目的は、バングラデシュの中でもチッタゴン丘陵地帯というビルマに近いところに住む山岳民族のコミュニティを訪ねることでした。チッタゴン丘陵地帯(CHT・・Chittagong HIll Tracks)には10以上の先住民族が住んでいるのですが、焼き畑をする人たちというジュマ民族という総称で呼ばれています。代表的な民族には、チャクマ、トリプラ、マルアなどがあります。

 さて、このジュマの人たち、実はベンガル人たちから迫害を受けています。
もともと独自の王国があったのですが、イギリス植民地時代は概ね自治権が与えられていたそう。わかる気がする。だってあそこまで行くのは大変だもの(これに関してはまたのちほど書きます)。すっごい道のりをへなければ、辿り着かないところですからね。

 その後、インドとなり、東パキスタンとなり、バングラデシュとなったわけですが、このころから様子がおかしくなってきたようです。つまりある一国に統一されてしまい、自治権がなくなっただけでなく、土地までうばわれだしてしまったということです。

(詳しくは、ジュマネットのサイトhttp://jumma.sytes.net/~jumma/cht/about.htmをご参照ください。)

 東パキスタン時代には、開発という名目のもとに大きなダムが造られ、10万人ものジュマ民族が土地を奪われて難民となり、インドなどに逃れなければならなくなったそうです。
 また、バングラデシュ建国後も、ベンガル人とジュマ民族との間は緊張が高まり、紛争が絶えず起き、入植地政策によってジュマ民族の土地は奪われていきました。その頃は、外国人は立ち入りが禁止されていたので、実際に何が起きていたのかを知ることも難しかったようです。
 1997年にようやく和平協定が結ばれ、外国人もはいることができるようになり現状がだんだんわかるようになりました。また和平協定のもとに難民も帰還することができるようになり、奪われた土地は返還され、CHTの自治が認められるようになっていく・・・はずだったのが、まだまだ和平協定の内容が実現されるにはほど遠い情況にあります。

 ジュマ・ネットというNGOが、この地域に平和が訪れるようにいろいろな団体と調整をとりながら働き掛けているのですが、今回はジュマ・ネットを通じてCHTの様子を学びに行きました。前述のトムさんは、ジュマ・ネットの副代表であり、ベンガル語、英語、日本語、ヒンディー語が堪能なために、通訳として同行してくださいました。
 では、続きはのちほど。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
 
 なるへそ、チッタゴン丘陵での問題というのは
こういうことなのですか・・・。
 この地域にこんな大きな課題があるということ
さえ知らない人が多いです。

 続編を、期待しております(^_^)b
 

 歴史的背景
つうつう
2008/03/06 17:24

コメントする help

ニックネーム
本 文
CHT 箱入り猫とOh坊さん/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる