箱入り猫とOh坊さん

アクセスカウンタ

zoom RSS 葬儀あれこれ

<<   作成日時 : 2007/06/23 23:50   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 1

母の母が亡くなり、広島へ。お通夜と葬儀に参加。
遺言だったらしく、家族葬となり、母の兄弟とその家族だけでひっそりと営む。
遺影をみながら、人の死をもっと多くの人と分かち合うのも死者の仕事じゃないかなーと思う一方、気の置けない人たちだけで集まって亡くなった人のことを語り合うのは、とても気が楽で、ある意味、気持ちのいいものだった。「おばあちゃん、ありがとう」

広島での葬儀に参列するのは二回目だったけれど、地域色っていうのか、松江の葬儀とも東京の葬儀とも違うところがあった。地域色なんだか、葬儀屋さんの流行なんだか???

まず、お通夜の席で法名を教えてもらわなかった。葬儀の時は、遺影の横に「法名」と書いた封筒が置いてあって、法名そのものは見えない。松江のおばあちゃんの時は、位牌に法名が書いておいてあったし、お通夜の席で説明もあった。
知りたかったから、葬儀屋さんに頼んで火葬場に持っていって、中を開けてみた。でも、わざわざせんといけんというのも???

そして、火葬場にお坊さんは一緒に来ない。だもんで、火葬場に着くなり、焼香だけしてご遺体は扉の向こうへ。なんだか、あっけなく「あらま」っていううちに二階にあがってお弁当を食べることに。なんだか、ベルトコンベアーの上に乗っているような気分だった。

火葬後の初七日には、菩提寺の衆徒の方がお見えになった。住職よりずっと高齢な方なんで、どういう関係かなと思いながらお経を聞いていたけれど、お経は住職よりも堂に入っていた。えらい早さで「仏説阿弥陀経」を読まれた後には、讃仏偈を読誦。そして、帰り際に「私は住職じゃないけん、ホントはしゃべっちゃいけんのだけどね」とおっしゃりながら、耐えきれなかったのか、ショート法話をされた。「人ごとだとおもっとんじゃいけんのだけん。これはみなさん自身の問題じゃけん。死を考えるってことは生きるってことを考えることじゃけんね。真宗は、生きることを考える教えで、だけん『いのちのあらんかぎりは、称名念仏すべきものなり』なんじゃけんね」
 のようなことを、非常にざっくばらんにお話されて去られた。どうも、こういっちゃなんだけど、お通夜の時の住職の法話よりも、この方の法話の方が多くの参列者には響いたようでありました。

あと、葬儀が始まる時に、ご遺体の顔をみながら「南無帰依仏、南無帰依法、南無帰依僧」とお坊さんが叫んでいたのも初めてみたな。もっとも、松江じゃ葬儀の前に火葬しちゃうからできないことなんだけど。

などなど、同じ宗派でも地域で儀式は違うものなんだなと実感。久々に親戚と会って、語り合うっていうのは、地域を問わないんだけどね。

追伸:中国地方なんだかわかりませんが、お通夜のことを「おつうや」って言います。微妙に違う!

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

 葬式は、地域によって、かなり違いますから・・・
私の町から西に3キロ行った岐阜県や三重県では
ぜんぜん違いますから。

 そうそう昔の人は、「おつうや」って発音しますよ。
尾張でも、「おつや」「おつうや」が混在しているから。

 おばあさん、ご長命でしたね。南無阿弥陀仏
つうつう
2007/06/26 20:24

コメントする help

ニックネーム
本 文
葬儀あれこれ 箱入り猫とOh坊さん/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる